急遽予定を変更して当日券で南青山マンダラへ。服部祐民子さんの活動休止が発表 されて最後の東京でのライブになります。当日券は開演時刻頃になってやっと入場。 最後ということからか、満席でした。開演は19:16頃。サポートは米川金太さん(Gt)。

 1. 三日月と星
    イントロだけで一気に1994年に引き戻すようなパワーがあります。
 MC 「どうも、こんばんは。服部祐民子です。ついに来てしまいました。」
    「懐かしい曲です。」
 2. アドバルーン
    ここからは本人も演奏。
 MC 「一人でやっていることが多くて、ここ2,3年。自分の自由なことができるように
    なってきたかな、というところ。」
 3. 杉並
    ここからはサポートなし。
 MC 「最新アルバムが4年前とかになるけど、もっとアルバム出したかった。」
 4. なんとなく
 5. キュークツ
 MC 「東京に来て18年。ずっと『東京じゃなきゃいけないのか?』と思っていた。
    通いミュージシャンをしている佐藤ひろこちゃんは栃木だし。盛岡からは
    通えないけど。」
    「正直言うと好きな人がいます。「三日月と星」や「アドバルーン」の“君”は
    同じ人です。好きな人を選択してみようかと思い、休んでみることにしました。
    引退とかではなくて、(盛岡での音楽活動を)やってみてできなかったら
    戻ってくるし。『活動休止したんじゃなかったっけ?』って思われるくらい、
    すぐに戻ってくるかもしれません。」
    「“愛してくれなかった人たち”って本当は一握りの人だけで、他の多くは
    愛してくれていました。そんなこだわりで盛岡に帰れないのはおかしいと
    考えるようになりました。」
 6. 愛してくれなかった人たちへ
 MC ここでしらいしりょうこさん(PfVo)を呼び込みます。本来は吉川みきさんが
    ピアノサポートの予定になっていましたが、入院・手術のため急遽しらいしさんが
    サポートすることに。ちなみに吉川さんの経過は良好だとか。
    しらいしさんとの出会いは2003年(12月22日吉祥寺MANDA-LA2。他に入日茜さんが
    出演)。服部さんは久しぶりのライブ、しらいしさんは弾き語りを始めて
    間もない頃だった。服部さんらがひとりぼっちだったしらいしさんを打ち上げに
    誘ったらとても喜んでくれて、服部さんやスタッフの誰よりも盛り上がっていた。
    他の話題として、金沢キャンペーンで、乗り込む電車とホームの隙間にお土産を
    全部落としてしまったという服部さんの失敗談を暴露したり。
 7. 朝(しらいしりょうこ)
    しらいしさんとともに唄います(PfVo,GtVo)。作詞が服部さん。
 MC
 8. バイバイ
 MC ここから再び米川さんも登場。故郷の話について。米川さんは中野出身、
    しらいしさんは練馬出身で、盛岡出身の服部さんとは故郷の概念が違うのでは
    ないか?という話。しらいしさんはそれでも、練馬に帰ると他とは違う空気を
    感じるとか。
 9. 4号線
    しらいしさんはここから休み(GtVo,Gt)。
 MC
10. 僕の分身
 MC 「自分で作っているけど、弾き語りでは難しい曲を。」
11. Gray Sky
    この曲から再びしらいしさんも参加。
 MC 「幸せな瞬間を保てないのはなぜ?ずっと続いたら幸せじゃないのかもしれない。
    幸せをちょっとずつ味わいながら。」
12. 幸せになりたい
13. 天才
 MC
14. 青虫
    お客さんにも唄わせます。
 MC 「いい声でした。一緒に唄いました。」
    「皆さんも自分の故郷のことを考えてほしい。」
15. 盛岡

本編ここまで。21:06頃。アンコールになります。一人で登場。

 MC 「3枚目(5枚目の間違い?)のシングルのカップリング曲。アルバムにも入って
    いないので、聴いたことある人は少ないかもしれないけど。」
E1. Tokyo
 MC ここで再びサポートの二人を呼び込みます。
    「幸せな瞬間だね。味わいました。」
E2. 同じものでできている

21:21。ダブルアンコール。一人で登場。

 MC 「(アンコールで)指つってた。長い曲やるけど大丈夫?」
E3. 空白の日々
    後半には少し涙ぐみながら。

 終演は21:31頃でした。
 以前のライブでタバコをやめたという話も聞きましたが、声はよく出ていて、 高音域の伸びが特によかったと思います。演奏は「この曲はストロークじゃないよな」 と思う曲も全部ストロークだったりして、繊細さを表現しきれていないところも あったように感じました。米川さんは3回目と言っていたように思いますし、 しらいしさんも急遽サポートすることになったのですが、無難にサポートしていた と思います。後半は少しバラツキが感じられたのが残念。

 1994年11月8日に初めて南青山マンダラで服部さんのライブを見てから、長い月日が 経ちました。デビュー当時の衝撃は大きく、幸せになりたいと現状に不満を持ちながら 自虐的に追い詰めていくスタイルは、当時のGiRLPOP全盛期に異質な存在だったことを よく憶えています。しかし、音楽スタイルは次第に変化していって円くなり、同時に 衝撃も薄れていったことで、彼女が幸せになってきたのだろう感じていました。 今回東京を離れ、22日の地元盛岡でのライブで活動休止となりますが、本人は休止に それほど強い意志はないと言いたいようで、笑いを交えて話していました。地方から 出てきた人にとって都会を離れるということは、挫折や敗北を意味すると思って いましたが、音楽目的ではなく家電量販店の店員として働くために上京し、ずっと 幸せを求め続けてきたであろう彼女にとって、好きな人のところへ帰ることの価値の ほうがずっと大きくなったのだと思います。 「空白の日々」のサビ の歌詞が東京での18年に対する訣別の言葉であり、彼女の音楽を愛してくれた人たち へのメッセージだったのでしょう。
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copyright かみと,2010